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どんくらの映画わくわくどきどき
自分が観た映画の話題を中心に書き留めている個人的なブログ。 写真はパリ ノートルダム大聖堂(2000) 文中敬称略。文&写真:どんくら
ワーテルロー (1969)
ナポレオン対ウェリントンのワーテルローの戦いを描いた約50年前のイタリア・ソ連合作。DVDで観た。
 私が観たDVDの上映時間は約130分だが、その半分がワーテルローに使われている。
 プロデューサーはイタリアのディノ・デ・ラウレンティス、監督はソ連のセルゲイ・ボンダルチュク、主要な役に米国映画界のロッド・スタイガー、クリストファー・プラマーなど。また戦闘場面はソ連軍が協力している。

 ワーテルロー(ベルギー)はブリュッセルの南方約15kmにあり、さらに南にカレン・ブラ、シャルルロワがありフランス国境に達する。


□ 1812年、ナポレオンのフランス軍はロシア戦に大敗した。オーストリア、ロシア、プロシア、英国等による対仏大同盟が結成されフランスに対する総攻撃が行われた。1814年4月20日、フォンテーヌブロー。パリも陥落しネイ元帥などの臣下達から退位を迫られたナポレオンはついに観念した。5月、ナポレオンはフランスを追放され地中海のエルバ島を与えられた。
   (フランスでは王政が復活しルイ18世が即位した。)


 1815年2月、千人に満たない部下を連れてナポレオンはエルバ島を脱出し大陸に上陸した。
 ルイ18世はネイ元帥にナポレオンを捕らえるように命じた。徒歩で進むわずか千人のナポレオン軍を迎えたネイ元帥率いるフランス軍は戦わずしてナポレオンに寝返った。将兵も民衆もナポレオンの帰還を歓迎した。ナポレオンはパリに戻り皇帝に復位する。

 ナポレオンはフランス北東部に展開する英国軍・プロシア軍への攻撃を開始する。
 1815年6月15日。ブリュッセルで舞踏会に出席していたウェリントンはナポレオンがすでに国境を越えシャルルロワにいるという連絡を受けた。
 ナポレオンはシャルルロワ北東のリニーでプロシア軍と戦い死傷者16000の損害を与えた。ナポレオンはグルーシー元帥にプロシア軍を追撃するよう命じた。しかしプロシア軍がどこに向かったかの情報はまったくない。
 ウェリントンはフランス軍を押し返しカトル・ブラを確保する。しかし南東のリニーにいたプロシア軍が撤退したため孤立したウェリントンはワーテルローまで部隊を後退させた。
 プロシア軍の動向はウェリントンもナポレオンもつかめていない。

6月18日 ワーテルロー
 夜が明けると両軍が向かい合う形て布陣した。
 前夜の大雨で地面がぬかるんでいてすぐには大砲の移動ができない。
 午前11時35分。フランス軍の砲撃で戦闘が開始された。
 ・・・・・
 午後6時 ナポレオンは勝利を確信した。ウェリントンは敗戦を覚悟した。フランス軍が進撃を開始する。
 ブリュッハー元帥率いるプロシア軍が現れフランス軍に襲い掛かった。
 午後8時 英国軍・プロシア軍の勝利が確定的となった。

   (ナポレオンは南大西洋のセントヘレナ島に追放され1821年に死去した。)



・ 監督: セルゲイ・ボンダルチュク
・ 製作: ディノ・デ・ラウレンティス
・ 音楽: ニーノ・ロータ
・ 出演: 
    ロッド・スタイガー         ... ナポレオン
    クリストファー・プラマー      ... ウェリントン
    オーソン・ウェルズ(ルイ18世)、ジャック・ホーキンス、ヴァージニア・マッケンナ、ダン・オハーリヒー

【関連映画】   「會議は踊る (1931)」...ナポレオンをエルバ島に追放した各国は今後について決めるためウィーン会議が開かれる。しかし会議は遅々として進まず・・・

◆ワーテルロー WATERLOO (1969/1970、イタリア / ソ連、英語)

テーマ:昔の映画 - ジャンル:映画

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