どんくらの映画わくわくどきどき
自分が観た映画の話題を中心に日ごろ感じたことを書きたい放題     左の写真はフランスのシュノンソー城にて     文中敬称略。文&写真:どんくら
カレンダー

07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

最近の記事

カテゴリー

リンク

 ・ どんくらの映画わくわくどきどき 映画記事索引
 ・ 映画生活
 ・ エキサイト・シネマ
 ・ goo映画
 ・ シネマトゥデイ
 ・ シネマカフェ

ブログ内検索

プロフィール

どんくら

どんくら
好きなことは、映画、写真、旅行、パソコン。最近は語学に力を入れています。
[映画スキ度]
 ★★★ 何度でも観たい。
 ★★or▲▲ もう一度観た/観たい
 ★or▲ 観てよかった。
 ■ フツー。観ても観なくても良かった。
 ▼ ・・・
自己紹介は「自分のこと」を参照してください。
> 本ブログは個人として運営しているものです。一度投稿したものも随時更新する場合があります。
> 記載内容については正確であることを心がけていますが、保障するものではありません。感想等については主観的なものです。キャストなども個人的に興味を持ったものしか記載していないので映画データとしては使用しないでください。明記しない限り原語版(字幕版)、映画館観賞。
> 人名・地名のカタカナ表記は日本で一般に使われていると思われるもので表記しています。スカーレット・ヨハンソンやジャッキー・チェンなど個人的には疑問を感じますが、大勢に従います。
> 「年」については原則として(世界での一般公開年/日本での一般公開年)。邦画は日本公開年。
> 原題について。複数の原題が存在することがあります。原則として私が映画館やDVDで観たものに映されたタイトルを記載します。
> 邦題について。複数の邦題が存在することがあります。原則として(DVDで観た場合でも)映画館公開時の邦題を記載します。または私が適していると思ったものを記載します。
> 公式サイトなどのリンク先は掲載時には一応確認していますが、後でリンク先が削除されたり無関係のものに変わってしまう場合、逆に更新されずにいつまでも“絶賛公開中”なんていうのもあります。
> コメント/トラックバック大歓迎。異論・反論OK。ただし明らかに無関係なものや著作権を尊重していないサイトと私が判断したものは断りなく削除します。反映には時間がかかります。トラックバック先の内容は保障できません。
> 本ブログの記事や使用している写真はすべて私が記載・撮影したものです。著作権その他の権利は私に所属します。本文中の写真はクリックすると拡大表示されます。映画の場面や俳優の写真を入れた方が見栄えはよくなりますがひとつひとつ著作権を確認するのは無理なので使いません。
since 2006/08/12

FC2カウンター

ロスト・イン・ラ・マンチャ (2001) ★
2017年4月、テリー・ギリアム監督のドン・キホーテ映画『The Man Who Killed Don Quixote』の撮影が開始されたというニュースが報じられた。
ドン・キホーテ
 かってギリアム監督は2000年にもラ・マンチャの男ドン・キホーテ映画の撮影をスペインで開始した。しかし相次ぐトラブルで撮影開始わずか数日で撮影は中断、結局製作は中止された。今回DVDで見たのはその顛末を記録したドキュメンタリー。
 かって「市民ケーン(1941)」「第三の男(1949)」等のオーソン・ウェルズもドン・キホーテにとりつかれ20年間も資金を稼ぎながら少しずつ撮影を続けたが本人の死去により未完成となった。記録映像の一部が映される。

 ギリアムのスケッチから実際に撮影できるセットが作られていく様子や撮影に入るまでの準備の様子が映される。
 事実上全体をとりまとめているのは第一助監督のフィル・パターソンで、全責任が彼にかかっているように見える。それなのに撮影が遅れた責任を取らされそうになる。
 エンドクレジットの後に映像があり、3人の巨人が襲ってきて"COMING SOON"と映る。しかし撮影の再開には17年もかかった。77歳のギリアム監督も最後のチャンスと考えていることだろう。アダム・ドライバー、ジョナサン・プライス、オルガ・キュリレンコ。


□ ギリアム監督は10年以上も構想を温めてきたドン・キホーテ映画のハリウッド製作をあきらめヨーロッパで製作することにする。現代の広告代理店のトピーが17世紀にタイムスリップしドン・キホーテにサンチョ・パンサと間違えられてお供をする羽目になる。

 ギリアム監督が選んだドン・キホーテ役はフランスのジャン・ロシュフォールで、気高く理想に燃える狂気の老人役にぴったり。しかも70歳という高齢にもかかわらず馬にも乗れる。ロシュフォールも大乗り気で7ヶ月間も英語を学んだ。トビー役はジョニー・デップ。ヒロインはヴァネッサ・パラディ。(映画ではふれられていないがこのころジョニー・デップとヴァネッサ・パラディは事実婚状態で子供もいる。)

 ギリアム版の悲劇はすでに始まっていた。製作準備に入った途端に大口の資本提供者が手を引き4000万ドルの予算を3200万ドルに切り詰めて再スタートする。それでもヨーロッパ映画としては極めて高額の製作費だった。しかしギリアム監督の本来の予算の半分だった。

 2000年8月マドリード。ギリアム監督と主要スタッフの顔合わせが行われ製作がスタートする。
 予算がギリギリのため役者たちも少ないギャラでスケジュールの合間を縫って参加する。台本の読み合わせやリハーサルの時間も取れない。少しでも予定が狂えばすべてがおしまいとなる。
 撮影開始が近づいているのに役者たちはヨーロッパ各地に散らばっていて所在もわからないし連絡も取れない。
 撮影開始4週間前になってもヒロインのヴァネッサ・パラディとの契約ができていない。
 プロデューサーがやっと見つけてきた室内撮影用のサウンドステージ(マドリード)は音響がひどすぎてとても使い物にならない。
 次々起きるトラブルにギリアム監督や古参のスタッフは「バロン(1989)」を話題にするようになる。かって「バロン(1989)」でもトラブルが次々に発生し製作費が予算の倍になってしまった。

 1週間前、当日いるはずのジャン・ロシュフォール(ドン・キホーテ)が腰痛で診察を受けるため飛行機に乗らなかった。
 トビー役のジョニー・デップが到着してギリアム監督と打ち合わせを始める。ヴァネッサも衣装合わせを始める。ジャン・ロシュフォールもやっと到着する。ギリアム監督は素晴らしい作品になると期待を弾ませた。

 2000年9月。マドリードから北へ4時間の自然保護区バルデナス・レアレスで快晴の好条件で撮影が開始される。軍事演習場が隣接しF-14が轟音と共に上空を飛ぶ。
 2日目。撮影地を強烈な暴風雨が襲う。濁流が押し寄せ小道具や機材が泥水に流される。
 3日目。小道具や機材が泥だらけで撮影できない。
 4日目。小道具や機材は乾いたが大雨によって砂漠の色が初日撮影時とまったく変わってしまった。
 5日目。天気も回復して太陽の元で撮影が行われる。しかしロシュホールの腰の痛みがひどくなる。演技にも影響する。やがて馬の乗り降りにも介添えが必要となる。
 土曜日。診察を受けるためロシュホールはパリに飛ぶ。助監督のパターソンは撮影中止を主張する。しかし月曜には60人の出資者が見学に来る予定で監督は撮影続行を押し通した。
 6日目(月曜日) ロシュフォールが戻るのは2日後の見込み。出資者たちの前でロシュフォールが出演しない場面の撮影が行われる。
 パリから『ロシュフォールの復帰は1週間後。復帰しても馬に乗せるな。』という電話が入る。
 7日目 撮影は行われない。ロシュフォールの復帰はさらに伸び誰にもわからない。
 10月末、ロシュフォールは椎間板ヘルニアと診断され完治までにさらに少なくとも1か月かかることがわかる。製作は中止され、映画の権利は保険会社に移った。


・ 監督: キース・フルトン、ルイス・ペペ
・ 出演: テリー・ギリアム(監督)、 ジョニー・デップ(トビー)、ジャン・ロシュフォール(ドン・キホーテ)、ヴァネッサ・パラディ、フィル・パターソン(助監督) 、ルネ・クライトマン(製作者)、トニー・グリゾーニ(共同脚本)、ニコラ・ペコリーニ(撮影監督)、ベルナール・ブイ(製作総指揮)、ジェフ・ブリッジス (ナレーション)

【映画の中の中国】 : ギリアム監督の色違いのシャツの胸に「鼓童」。日本語の「鼓動」の意味?
> 写真はマドリード市内にあるドン・キホーテ像

■ロスト・イン・ラ・マンチャ LOST IN LA MANCHA (2001/2003、米国/英国) 

テーマ:昔の映画 - ジャンル:映画

この記事に対するコメント

この記事に対するコメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック
トラックバックURL
→http://klause.blog53.fc2.com/tb.php/5196-ed4c70b5
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)